寿司は無限

アニメとかについて書きます。寿司は無限などと言っている割にせいぜい30皿が限度です

魔法戦争全話レビュー 第七話『魔剣の秘密』

第七話『魔剣の秘密』

脚本:ハラダサヤカ 演出:村山 靖 絵コンテ:田所 修 作画監督:山崎 愛

 ついにOPでくるくる回っているくるみモドキの初登場だ。そして、もっとも出番のある回もこれだ。正直空気だが、この第七話もインパクトは十分だ。しょうもないバレンタインエピソードをこなして、トワイライトの精が武を持ち主と認めず、悪夢を見せるようになる。それをなんとかするというだけの話だが、魔法戦争中でも一二を争う見どころがある。六ちゃんのプリンだ。

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六「やったー!わーい!わーい!やったやったー!おっきなぁ、プリンだぁ!」

 綿飴のような雲の上を、六ちゃんが駆けてくる。手を広げて飛び跳ねて全身で喜びを表現している。その進む先には、巨大なプリンが揺れていた。

六「ぷりんぷりんぷりんぷりん~いっただっきまーす!」

 夢中な六ちゃんは雲に開いた穴に気づかず、転落してしまう!武の魔法は予知による回避であり、このような悪夢(?)はいわば予知夢である。翌日、六ちゃんは食堂であまったプリンを真っ先にもらうために走って、階段を転げ落ちたのである。ここで失笑した視聴者は多いのではないだろうか。 

 

 しかし、考えてみてほしい。給食でプリンが余ったら食べたくならないだろうか。プリンに喜ぶ六ちゃんの可愛さもさることながら、魔法使いだろうが、外で戦争(という名のチーマーの抗争)が繰り広げられようが、そうした人間の自然な感情を誠実に描くことが、魔法戦争を名作に押し上げている。

 武の夢の中でトワイライトの精を倒そうとすることになった。武本人と六ちゃんがトワイライトの精と戦う……と思いきや、まずは水着回だ。夢の海で、突如六ちゃんが水着姿になるのだ。これが武のイメージによるものかどうかは不明。

夢の月光「この堕天使の剣はいかなる剛健な盾をも貫く!」

 これも予知夢なのだろうが、別に堕天使の剣は出てこない。そんなこんなでトワイライトの精と戦うのだが、勝てない。六ちゃんもそんなに役に立たずに足をひっぱる。勝負に勝てない武は、苦し紛れに情でほだす作戦にでる。

武「俺は君に名前を与えることができる。俺が君に存在価値を与える。永遠(トワ)……」

 永遠は膝をつき武を見上げるのだった。なぜこれで懐柔できたのかよくわからない。武にトワイライトの所持者に相応しい実力が備わっていないという話ではなかったのだろうか。そもそも、この時点ではトワイライトのトワだ。三毛猫にミケと名付けるような、2秒で考えたような名前でいいのだろうか。

武「あの夢の中での戦いを終えて一ヶ月……」

 魔法戦争の特色、モノローグ長時間ぶっとばしがここでも見られる。ここはおしゃれはカフェ。ホワイトデーのお返しを買いに来たのだ。

くるみ「永遠に一緒に……で永遠(トワ)か……素敵な名前よね。まるで結婚の誓いみたい……」

  そんな意味だったとは初耳である。トワイライトのトワとしか思えない。苦し紛れに適当こいた武に対し、くるみの熱いフォローといえよう。

魔法戦争全話レビュー 第六話『激闘と奪還』

第六話『激闘と奪還』

脚本:村上桃子 演出:真野玲 絵コンテ:小島正士 作画監督:高田晴仁・東島久志・緒方歩惟

 

 魔法戦争も中盤戦。狼神・蛍をトレイラーに返して、ついに十が帰ってくる。ただワシズ様たちが素直に従うわけもなく、十とウィザードブレス側の戦闘になってしまう。まあその辺は割りとどうでもいい。モブ魔法使いは準備してきたと言いながら十に負けるし。あとはくるみと狼神のフラグがますます立つ。

狼神「強くなれよ。もう一人で泣かなくてもいいようにな」

 武の心が離れているのを感じているくるみは、男ぶりのいい狼神にまんざらでもない様子だ。狼神はくるみに赤い宝石を託す。これはトレイラー本部へのゲートで、後半のくるみ奪還戦で使われることになる。

 十はまた武たちに敗北し、今度こそ奪還作戦に成功する。そして、今回の見どころはなんといってもワシズ様と桃花のガチバトルだ。この魔法戦争、主人公勢が弱い。魔法が発現して半年も経っていないのだから、当然といえばそうだが、戦闘の派手さまるでないい。そこで、ワシズ様vs桃花というカードだ。両陣営の最強クラスを投入することで、花のある戦闘を魅せてくれる。

 

ワシズ様「ひさしぶりだね~ちーびちゃん」

桃花「ちっ」

ワシズ様「今キミ先輩に向かって舌打ちしたよねぇ」

 

 やけにフランクな二人。何を隠そう彼らは魔法学院の先輩後輩なのだ。ワシズ様は32歳なので、桃花の年齢も自動的に推測できる。ワシズ様の破壊魔法アビスマーキュリーは目に映るものを液状化させる強力な魔法で、桃花は13分という死のリミットと蓄積し続けるダメージを背負って戦うことになる。

ワシズ様「オトナより子供のストッキングを破くほうが罪悪感でゾクゾクするなぁ!」

 桃花はアビスマーキュリーの能力によって、満身創痍だ。服は溶け落ち、肌の赤黒い傷が痛々しい。これが学院長中破だ。高度な魔法の応酬のすえ、桃花は切り札であるスペースアークを発動する。桃花が空間に開けた大穴は、大気圏外につながっている。当然、すべてのものが吸われていく。

ワシズ様「あくまで戦うか!チビ!だったら相手してやるよ!お前が溶けるのが先か、俺が吸い込まれるのが先か!」

 ワシズ様vs桃花の決着は近い。死を覚悟する桃花。全身血まみれで鼻血を流している。このアニメ、大ダメージを受けたキャラはなぜか必ず鼻血を流すのが常だ。そして、ここで奇跡のような幸運が訪れる。飛び上がった車がワシズ様に激突。彼は宇宙空間に放り出されたように見えた。桃花は空間を閉じるも、すでに限界を迎え、東京湾に落下していった。まあ二人とも生きてるんだけど。全治4ヶ月の桃花に対し、ワシズ様は結構ピンピンしているので、この勝負、ワシズ様の戦術的勝利といったところか。

 

 そして、十に変わる新たな五格候補として、月光が登場する。なぜ月光なのか。エンジェルハントはそこそこ強そうな能力だが、人格面での問題が多すぎる。ワシズ様はこの後武も勧誘するし、かつて魔法学院の姫や彼女への愛ゆえに死んでいった友への情がそうさせると思っていこう。

魔法戦争全話レビュー 第五話『魔法試験と冬休み』

第五話『魔法試験と冬休み』

脚本:ふでやすかずゆき 演出:政木伸一 絵コンテ:伊藤達文 作画監督:青木まさのり・鈴木奈都

 

武「11月、幻術魔法により校庭に出現した不思議な建物。ここで系統魔法一斉試験が行われる」

 武のモノローグでバンバン時間が飛ぶので、逆に時間の経過は感じられない。第1話では夏だったが、もう秋も終わりに近づいている。この試験で実力を示せば、十救出作戦への参加を許されるというから、絶対に落とせない。

 各階で魔法試験が行われる。回避魔法の試験は妨害を突破して目的地を目指すというものだが、障害として出てくるのは多脚戦車風ロボやサイだ。生物魔法は迷路で、くるみの言うとおり、魔法と何の関係があるのか不明だ。

 と、ここでヴァイオレット先生の横槍が入る。試験会場が崩落し、全員が一階に落とされた上に、魔物が試験会場を襲ったのだ!敵に襲われ窮地に陥ったくるみを救ったのは、記憶を改竄された狼神であった。敵も味方も記憶操作が大好きらしい。トワイライトによる合体魔法でゴーレムを撃退する武たち。

 Bパートではもう正月になっている。激流のごとき進度。帰省のことで武を言い争いになり、飛び出すくるみ。伊田が「夫婦げんかは犬も食わない」などと余計なことを言うものだから、六ちゃんもショックを受けてしまった!可哀想に。このBパートは魔法戦争全体の中でも白眉というべきシーンの連続だ。

 魔法の練習中、突如、「つめたくてきもちいよー」などとブルマ姿のまま闘技場に寝転がる六ちゃん。その顔は赤らんでいた。

六「そんなこといわないでー……はにゃ」

 困惑する武に抱きつく六ちゃん。そう、熱を出しているのだ。この時点で意味がよくわからない。酒に酔ったかのような反応で、熱というのはそういうことではない気がする。武は慌てて六ちゃんを部屋まで運ぶが、騒動は一層の混迷を見せる。六ちゃんはいきなり笑い出し、武をベッドに招き寄せた!

六「兄さん手はここ、なでなでして」

 どうも酩酊した彼女は十と勘違いしているらしい。いつもこんなことしているのだろうか。

六「あ!ブラ外すの忘れてた。ぽーい!これでよかよか~」

 とにかくベッドの中でもぞもぞする二人。一見、唐突に何の脈絡もなくねじ込まれるエロパートに見える。だが魔法戦争の本筋は武・くるみ・六の恋愛である。話を進めているのだ。大きな音がして振り向くと、そこにくるみがいた。手にしていたおせちを床にばらまいて、くるみが立ち尽くしていた。

くるみ「でてけーーー!!!!(絶叫)」

 武は情けなく言い訳して、情けなく逃亡した。これでくるみの怒りが収まるわけはない。

くるみ「悪かったわね……帰って来ちゃって……」

 抑揚のない声で淡々しゃべっているのが恐ろしい。

六「ううん……嬉しい……早く帰ってきてくれて」

くるみ「嬉しい……ですって……?この泥棒猫!あんたも出て行きなさい!!」

 六を追い出したくるみは、大泣きして、無意識の内に魔法を発動して幼児化してしまう。六ちゃんは武を呼ぶが、あろうことかここで自分には関係ないと無視を決め込むのだ。フェイクのことを六ちゃんにばらして、こんなことはもう止めたいと疲れた顔を言うのだった。本気でくるみのことを面倒だと思っているのだろう。その気持ちもわからなくはない。

武「俺達は冬休みをぎこちないままに過ごした……」

 モノローグですべて終了。激化するくるみ・六・武の三角関係。そこに新機軸が加わる。あの狼神である。Aパートでくるみを助けて男を上げた狼神が、さらに魔法戦争の恋愛を引っ掻き回すのか?(さほどでもない)

 図書室に狼神がいるのを見つけたくるみは魔法試験の一件のお礼を言う。くるみの失意を感じた狼神、ここで彼女のアゴをクイッとやって涙を拭う。一瞬何も言えなくなる。

くるみ「ばっ……ばっかじゃないの!」

 図書室を飛び出してきたくるみは、偶然そこを歩いていた武にぶつかってしまう。武は、くるみに何も言うことができない。恋愛のごたごたの予感をはらみながら、物語は何事もなかったかのように、十奪還へ進む。

 魔法戦争の恋愛は楽しさゼロ、面倒くささ100。単なるハーレムや俺TUEEEEモノに飽きた人も、魔法戦争なら楽しめるはずだ

暗黒神話咲-Saki-説

 言わずもがな『咲-Saki-』は小林立氏の手による人気漫画である。その魅力的なキャラクターと深淵な世界観に人々は惹きつけられ、聖地捜索や元ネタ考察には数多のファンが参画し、百家争鳴の様相を呈している。筆者は今回、新たなる咲-Saki-のモチーフを発見した。これを新説として世に問いたいと思う。その説とは、題の通り暗黒神話咲説」である(野獣先輩○○説風)。あとこれは大分前に書かれたものなので、情報が古いかもしれません(予防線)。

 

 『暗黒神話』を知らない方のために、まずはこの作品の説明から入ろう。『暗黒神話』は諸星大二郎氏による漫画作品である。1976年の週刊少年ジャンプ20号から25号に渡って連載された。ごく簡単に言えば、ヤマトタケルの転生である少年武が、前世での旅路を再現しながら、宇宙の絶対者であり選ばれたる者=アートマンとして覚醒するというストーリーである。その旅路の中では、スサノオヤマトタケルなどの日本神話、邪馬台国、竹原古墳の神馬、庚申信仰、馬頭観音など、様々な要素が独自の解釈によって壮大な伝奇を織り成していく。姉妹編ともいえる『孔子暗黒伝』と合わせて、諸星大二郎の代表作だ。


暗黒神話(1/2) 餓鬼の章.mpg - YouTube


暗黒神話(2/2) 天の章.mpg - YouTube

 こんな昔の漫画が何故『咲-Saki-』と関係あるのかと思われるかもしれない。しかし、詳細に検証していくと、二つの作品は奇妙な一致を見る。

 

検証① 山門武の旅路と出場校の一致

 『暗黒神話』の主人公、山門武はヤマトタケルの旅路を再現しながら聖痕を受けアートマンとして目覚めると述べた。まずは全国を巡ったヤマトタケルの行路で、諸星大二郎が選んだ地を時系列順に挙げることとする。長野県茅野市蓼科山での回想から物語は始まる。

 東京都三鷹市、長野県蓼科山島根県出雲大社熊本県菊池郡、福岡県宮若市、竹原古墳、国東半島、大阪府羽曳野市・白鳥陵、奈良県橿原市・石舞台、兵庫県川西市及び大阪府豊能郡妙見山、静岡県焼津市の海、東京都武蔵野市・井の頭公園をめぐり超越者の証である聖痕を受けていく。

 長野、東京、福岡、大阪、奈良、兵庫。『咲-Saki-』に登場する清澄、白糸台、新道寺、千里山姫松、阿知賀、劔谷……それぞれの出身県と見事に対応している。特に阿知賀編の色が強いと言えるだろう。ここで出雲、熊本、国東、焼津はどこへ行ったのかと思われる方もいるであろう(注一)。その疑問の答えも無論用意してある。『咲-Saki-』の対戦表をよく見ていただきたい。side-Aの出場校で重要なものを上から列挙していく。白糸台(西東京)、粕渕(島根)、新道寺(福岡)、郡浦(熊本)、観海寺(大分)、劔谷(兵庫)、由比(静岡)、阿知賀(奈良)、千里山(大阪)である。もうお気付きだろう。『暗黒神話』における山門武の旅路そのものである。穏乃たちは『暗黒神話』の道程を擬似的に繰り返すことで、その力を開花させていった(特に穏乃は)。それは聖痕を受けて覚者へと至る道筋をなぞることでもあるのだ。

 『咲-Saki-』によ『暗黒神話』にせよ、長野諏訪の役割は重要である。最初に『暗黒神話』には姉妹編として、『孔子暗黒伝』があると述べた。これは中国の孔子に拾われた赤なる少年が、自らの影であるアスラと一つとなり、周辺世界を巡る物語である。その旅路の終着点こそ、諏訪湖である。そして、最終的に『暗黒神話』の冒頭部とつながる。つまり二つの作品は諏訪湖を因果の中心とした円環構造をなしているといえる。『咲-Saki-』の本編、その開始地点としてもっともふさわしい。そもそも阿知賀編の物語は和の長野への移住が契機の一つであり、長野はここにおいても因縁をまとう。

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(『暗黒神話』に登場する尖石縄文考古館。咲-Saki-の“聖地”と重なりあう。ちなみに右側の八ヶ岳はFATALIZER主人公士栗の故郷でもあった)

 また菊池彦率いる菊池一族が熊襲の末裔であることにも注目したい。熊襲の中心地には様々な説があり、熊本県菊池郡もその一つだ。しかし、熊襲風土記において、「球磨曽於」表現されている。「球磨」は熊本県球磨郡を指しており、「曽於」は現在の鹿児島県霧島市周辺である(wiki)。鹿児島県霧島市といえば、永水女子の地元である。また菊池一族の紅一点、大神美弥が奇妙な鬼の仮面をかぶり、武を驚かすというシーンがある。これは永水女子の副将、薄墨初美が悪石島の神「ボゼ」の仮面で和を威圧したのと酷似している。神代一族もまた古代日本人の血統を継ぐものなのかもしれない。

 

検証② 諏訪と武蔵野を結ぶもの

 疑り深い方は、「全都道府県あるのだから、被るのは当たり前だろう」と思われるかもしれない。阿知賀編において取り上げられている学校がすべて『暗黒神話』と重なっていることは揺るぎない事実ではあるが、根拠はそれだけはない。

 諏訪と武蔵野は『暗黒神話』の中で重要な場所である。因縁の始まりの地である諏訪、そして旅の終わりの地、武蔵野。武は武蔵野に住みながら、何度も諏訪に赴いていた。武蔵野とは、川越から府中までの間に広がる地域のことだ。諏訪と武蔵野という土地は、『咲-Saki-』においても非常に重要である。白糸台は、府中市に位置し、三鷹や井の頭公園にも近い。

 宮永咲・照姉妹は言うまでもないことだが、長野県の諏訪湖周辺で生まれ育ったと思われる。本編に描かれていないため断定はできないが、おそらく諏訪は宮永姉妹因縁の土地であろう。武が諏訪で父を失ったように、彼女たちも何かを喪失したのかもしれない。

 『暗黒神話』で重要なキーワードはスサノオである。「スサノオ」の力を巡る物語なのだ。『暗黒神話』作中では、でスサノオ=馬頭観音=馬頭星雲という超理論が展開される。「馬頭観音」とは観世音菩薩の化身であり、多くは馬の飾りを頭に戴く。馬頭は悪魔を下し煩悩を断つ力を表徴するが、一般的には馬の守り神として信仰されている。大切な交通手段や労働力であった馬の鎮魂のために、各地に「馬頭観音」と書かれた石碑があるのだ。国東半島編でも馬頭観音の石仏と馬頭の庚申塔が登場する。

 この馬頭観音、なんと西武多摩川線白糸台駅にも存在するのだ。暗黒神話咲説を温めていた筆者は、聖地巡礼のために白糸台駅を訪れて驚愕した。小林先生もここを訪れて、『暗黒神話』に思いを馳せたに違いないと思われた。石碑には花と小さな人参が備えてあり、地元の方に馬頭観音の碑が親しまれていることが感じられた。由来は石碑の文字がよく読めず分からなかったが、新しいものであれば付近の競馬場と関わりがあるのかもしれない。

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(こじんまりとした駅前にひっそりと佇む。真新しい花が地元に根づいた信仰を感じさせてくれた) 

 これはまったくの余談であるが、駅のすぐそばの個人商店には雑多なダンボール箱が重ねられていた。その中に、「しらたき」「糸こんにゃく」と文字が目についた。これはまさに白糸台の試合を観戦していた優希のセリフそのものだ。あれはなんとなく生まれたものではなくて、小林立が実際にここを訪れて、この道を通り思いついたものではあるまいか(なお個人商店ため撮影は自粛した)。

 馬頭観音と同じく、庚申塔は『暗黒神話』において大きなカギとなる。国東、妙見山に登場する。ここで重要視されているのは、庚申塔に描かれているのは、日と月を両手に戴いている姿であるという点だ。作中では、アマテラス・ツクヨミが太陽・月の神格化であるなら、「スサノオもまた天体だった」ということになっている。また庚申塔に刻まれているのは、羅睺(らごう)が地に降ったもの、黄幡(おうばん)である……とされている。羅睺とは日月に出会って食を起こす架空の星で、これも馬頭星雲を指す一つの象徴とということになっている。さらに聖痕を受けた場所をつなぎ合わせると、馬頭星雲のあるオリオン座の形を成す……ということになっている。このように暗黒神話』では星の神話が語られているのだ。死と祟りをもたらす恐るべき凶星の神話である。

 阿知賀編16話の扉絵では、大星淡と白糸台付近の神社が描かれている。ここには庚申塔が祀られているのだ。青面金剛猿田彦を祀る一般的な庚申塔であるが、日と月を掲げていることは同じである。なぜここに大星淡が描かれているのか。そこに込められた意味が見えては来ないだろうか。すなわち、天江衣(月)・宮永照(太陽)に次ぐ「魔物」であることを示しているとでも言うのだろうか。

 また白糸台高校の宮永照は知っての通り、高校生一万人の頂点である。前年度の個人戦2位、三箇牧の荒川憩をして人間ではないと言わしめる強さを持ち、照魔鏡や連続和了といった異能で松実玄や園城寺怜、花田煌を苦しめた。なぜ彼女がこれほどの力を持っているのだろうか。

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(溝合神社全景と内部。小林先生もこの地に来て、扉絵の背景を選んだのだろうか)

 『暗黒神話』における「アートマン」とは「永遠の無にして永遠の力 すべての時間と空間を支配する」ブラフマンの分身でありその力を受け継ぐ者である。『孔子暗黒伝』では、並外れた能力を持ち人類の歴史を変えうる人間と語られていた。彼らは無数の時空に出現し人類という存在を照らしだす。照の超人的な能力も彼女がアートマンだと考えれば納得がいく。照の能力には照魔鏡と呼ばれるものがあるが、これはおそらく八咫の鏡であろう。天の岩戸開きに際してアマテラスの姿を映した八咫の鏡こそ、照の力にふさわしい。『暗黒神話』にもアートマン(≒ヤマトタケル)の証として、三種の神器が登場した。

 諏訪、武蔵野、馬頭観音、庚申塔アートマン。すべてが一本の線で結ばれた。なぜ小林立諸星大二郎をリスペクトしなくてはならないのだと思われる方がいるかもしれない。だが、諸星大二郎氏のファンを公言する著名人は、宮崎駿庵野秀明、白石晃士、藤田和日郎萩尾望都高橋留美子江口寿史細野晴臣大槻ケンヂなど各界に無数にいる。また江口寿史氏が自身のツイッターで、諸星氏と大友克洋氏が居酒屋らしき場所にいる写真をアップロードしたことは記憶に新しい。諸星大二郎は、多くのジャンル、多くのクリエイターに影響を与えているわけである。明らかになっていないだけで、小林立がその一人であったとしても不思議でないのだ。

以上の検証の結果、『暗黒神話』は『咲-Saki-』である。Q.E.D(証明終了)

 

(注1)この文章を書き終えたしばらく経った、2013年9月25日現在、暗黒神話咲-Saki-説を補強させ、完成せしめる新展開があった。『シノハユ』である。主人公である白築慕は、母の蒸発を契機として島根県松江市周辺とおぼしき地へ行くことになる。物語はここで進行することになると思われる。暗黒神話咲-Saki-説において、出雲の未登場が論拠を弱める原因になっていた。しかし、『シノハユ』で出雲が登場することによって、暗黒神話咲-Saki-説はより完璧に近づいたといえよう。

 慕は一索の鳥や車の車窓から見える鳥に、母親の姿を見出すが、これは病に倒れたヤマトタケルが最後、白鳥となり西の空へ飛び去った神話を思い起こさせる。空を飛ぶ鳥は人間の魂の象徴であったのだ。また『孔子暗黒伝』においては、生命の象徴である魚と対地され、「魚の生と鳥の死」と言われている。とすれば、彼女の母はすでにこの世のものではないのかもしれない。

魔法戦争全話レビュー 第四話『崩壊世界の六と十』

第四話『崩壊世界の六と十』

脚本:ハラダサヤカ 演出:澤井幸次 絵コンテ:川口敬一郎 作画監督:山口仁七

 

 崩壊世界で武が戦う話デース!以上……とならないのが魔法戦争のスゴイところだ。兄を救うため出奔した六を追い、武らも崩壊世界へ。そこでコンシェルジュなる存在と出会う。彼らは一種の門番でどんな魔法も通さないバリアを張っている。そんなのがあったら無敵ではないか。モブ魔法使いが戦闘で死んで、バリアにぶつかってくる。ちなみにこの設定が登場することはもうない。とにかく崩壊世界では戦争が起こっているのだ。

 

 十との戦いは純粋な見どころだ。なにせ魔法バトルなのだ。インビジブルディスク(氷の円盤を飛ばす)やワイヤーブリザード(氷のワイヤーを這わせる)などの必殺魔法が飛び交う。どれもちょっとしょぼい。大抵のキャラの魔法はあんまり強くなさそうだ。そして、結構あっさり負ける十。しかも武たちは魔法の素人同然のままだ。武器の性能差は言い訳にはならない。なぜなら、トワイライトが他人の魔法を込められるといっても、入っているのは大して強くもない伊田の魔法だ。

 くるみも回復役として地味に役にたった。ワシズ様の乱入によって勝負は次に持ち越し。ここでワシズ様が戦っていれば、武らは一瞬で殺されていただろう

 

 この話、魔法戦争の全話の中でももっとも語るところがないかもしれない。ただそれは魔法戦争が悪いのではなくて、私の見方が悪いのであろう。

デート・ア・ライブⅡ 鏡写しのライブシーン

 デート・ア・ライブⅡでは八舞姉妹と美九が描かれている。そのいずれもメインヒロイン(おそらく)の十香の活躍や士道との関係性の深化、世界との関わりなど、素晴らしい仕掛けが数多用意されていて、非常に楽しめた。特に美九編(原作)ではあの美しいライブシーンに圧倒された。そもそも美九は十香が反転するという展開にを描くにあたって、十香から逆算されて生まれたキャラクターなのではないかと考えている。鏡のように同じものを写し、かつ反転している。

 

1 十香 彩られる世界

 十香は精霊として生まれたばかりに世界から排除されてきた。目にするものは、廃墟と自分を殺そうとするASTのみ。世界は、ひどく冷たい、敵意に満ちたものだった。その冷たい世界から彼女を救い出したのが士道だった。士道(とフラクシナス)は最初、十香に喜びもを教える。それはきなこパンであり、ひしめく屋台であり、士道とのふれあいだった。美味いものを食べて、遊び歩き、心を許せる人を語らう。生の喜び、存在を肯定されてること、と言い換えてもいい。異物として排除されるべき特殊災害指定生命体だとしても、十香を、苦しみの底にある精霊たちを「肯定」するという強い意志が、十香の心を動かしていく。

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デート・ア・ライブ1期3話の食事シーン。いずれの十香も素晴らしく可愛いことが分かる。人間の根源的な快楽(美味い飯)を全身で謳歌する十香に泣ける。彼女はこんな当たり前の喜びすら阻害されてきたのだ)

  冷たい世界は温かさを宿し、彩りに満ちた真の姿を十香の前に差し出したのだ。突如して世界に放り出されて、生きること阻害され続けてきた十香がやっと、喜びや苦しみに彩られた世界を歩んでいく。この祝福に満ちたデート・ア・ライブ1期序盤を見ると、しみじみと泣けてくる。

 そして、士道はたくさんの精霊の王子様になっていく。四糸乃や妹の琴里、八舞姉妹……。そんな中で、最初の精霊である十香は置き去りにされていくかのように思える。しかし、士道が迷った時、彼を救うのも十香なのだ。八舞姉妹の悲しい闘争を前にした士道は、どうしたらいいのか、道に迷っていた。士道の悩みを悟った十香が、夜の海辺で励まし・助言する。

 このシーンの美しさは、士道に冷たい世界から救いあげられた十香が、今度は彼の苦しみを和らげ、支える存在になっていることからくる。士道と出会い、琴里やあいまいみーなどの友達と呼べる存在を得て、心が潤ったから、人を救うことができる。

 八舞姉妹を破滅的な二者択一から開放する過程で、十香の果たす役割は非常に大きい。最初は士道に救われて世界との関わりを持った十香だが、「生きていく」中で、自然と士道と支えあっていくのが感動的だ。

 

2 美九 自己否定と依存

 廃墟と敵意の中で、喜びから疎外されてきた十香に対して、美九は地位やアイドルとしての名声、「お人形」からの崇拝……十香とはまったく対照的に、精霊であることによって(破軍歌姫<ガブリエル>)の洗脳能力)、何もかも持っている(かのように見える)。美九は自分以外の人間たちに対して、憎悪を向けるか、モノ扱いしかない。この世界のすべてが、美九を肯定するのだから、好き放題他人を踏みつけにして生きていけるのだ。他人の生命を何とも思わない美九に対して、士道はこう言うのだった。

 

「世界の誰もがそんなお前を肯定しかしないなら……俺がその何倍も――お前を、お前の行為を否定する……ッ!(デート・ア・ライブ6巻、146p)」

 

 激高していても、「お前の行為」と美九自身から微妙に矛先を逸らしているところに士道らしさが出ている。これはかつて十香に言ったことと正反対だ。美九にとっては、「精霊である」ことの持つ意味も、十香(と他の精霊たち)とは真逆だ。美九はその能力ゆえにアイドルとしても、学園の女王としても、絶対的な支配者として振る舞えている。美九は「精霊である」がゆえに何らかの苦しみを抱えていた今までヒロインとはまったく異なる存在として物語中に現れる。この新しい難敵とこのあとに訪れる原点回帰も素晴らしい。

 また現世的な幸福を一切満たしているかに見える美九が、どこか虚しさを抱えているのもよい。美九はアイドル時代、枕営業を強要され、裏切られボロ雑巾のように捨てられたことで、酷い人間不信に陥っていた。ファントムが彼女に洗脳能力を授けたのは、その恐怖を薄めてやるためだろう。すべての人間を洗脳して人形のようにできるなら、恐怖や不安はない。しかし、心のどこかでは、生の人間と接して肯定されたいという切実な気持ちも内包しているのも、美九というヒロインの趣深いポイントだ。

  世界すべてから肯定される美九。しかし、この世でただ一人、士道よりも遥かに深く彼女を否定している人間がいる。それは美九本人だ。ただの人間だった時、自分を使い捨ての商材か、性欲のはけ口としてしか見なさない芸能界、嘘のスキャンダルで美九を貶めるファン……ひいては男性一般に絶望した美九は、心因性失声症になってしまう。

 

 歌しか持っていなかった女の子が声を失ったら、もうその子に存在価値などはない。そんなこと、ずっと前から知っていた。九歳になる頃には、もう理解していた。だから、そんな美九が自殺を考え始めたのは、至極当然のことだった。(中略)価値のない子は簡単に処分できるはずだった(デート・ア・ライブ7巻206・207p)

 

 美九が抱えているもっとも根源的な苦しみは、自分が(声を失ったら)「価値のない子」だという自己否定だったのではないか。美九は基本的に不遜で、学園の女王然としているから、見落としがちだが、これそこ美九というヒロインの本質ではないかと思う。これは嘘のスキャンダルによる失墜に起因するものではなくて、美九という個人に初めから内包されていたものだ。スポーツも勉強も並以下だった美九にとっては、歌だけがこの世界に繋ぎ止める寄辺だった。

 7巻後半で再び声を失った美九を、士道が命がけで救うことによって、その心はほぐれていく。

「もし私が今の『声』をなくして、他のみんなからそっぽを向かれても、士道さんだけはファンでいてくれるって。――あれは、本当ですよね(7巻326p)」

 士道が真心によって救われたと見るべきだろう。しかし、美九の心の底にある根本的な自己否定感が解消されたかというと、そうとは言えない。自己否定感と裏返しの依存ともとれる。デート・ア・ライブのゲーム第二弾或守インストールで提示されたシチュエーションの一つに、「もしも美九がヤンデレ彼女だったら。」というものがある。

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(PS3持ってないのでこのゲームできないのが残念。なんでも電脳世界で繰り返しこのようなif的なシチュエーションが提示されるのだと聞く)

 美九のヒロインとしての本質が、自己否定と裏返しの依存だとしたら、実はこうしたキャラクター設定は、デート・ア・ライブのヒロインたちの中でも合致している方ではないだろうか。

 美九編のオチは依存的であるなど、言いたいことが全くないわけではない。しかし、何からの客観的な価値を失ったとしても、ただの心しか持たなくなっても、相手を肯定し続けること――それは愛とも言えるのかもしれない。

 

 3 原始的な喜び――表現すること

  十香は精霊であるがゆえに、世界から拒絶され、排除されてきた。他者から存在を否定されて、生の喜びから疎外されてきた。士道が十香の存在を肯定して、やっと彼女の世界は色を持ち、歩みを始めた。

 美九は精霊であるがゆえに、世界から(破軍歌姫<ガブリエル>の能力によって)肯定され続けている。誰からも肯定される美九を否定しているのは、実は士道ではなくて、美九本人であった。

 実は鏡写しのように対照的に造形された二人。そして、二人は同じく自分の存在を士道に肯定されることによって、デート・ア・ライブの世界でヒロインになっていく。十香の世界から疎外された苦しさも、生の人間との絆を求める美九の気持ちも、士道とのふれあいで和らぎほぐれていくのだ。

 アニメ版では少しわかりにくいのが、十香と美九の対比が頂点に達するのが、文化祭でのライブシーンなのである。

 人間世界の文化から隔離されていた十香とって、ライブなるものもはじめての体験であった。DEMの攻撃により回線が破壊されて、歌が途絶し、口パクで乗り切りはずであった士道たちは混乱。窮地に陥る。それを救うのも十香であった。十香は練習の過程で歌をすべてとは言えないまでも覚えていたのだ。タンバリンを打ち鳴らして、声や体、全身で喜びを表現する十香の姿はとても感動的だった。

 

 十香の顔からは、大舞台の気負いも、美九への敵愾心も、大仕事を背負わされた義務感も、何も感じられなかったのである。ただ、楽しそうに。士道たちと一緒に演奏できることが、嬉しくて楽しくてたまらないといった様子で、『音』を『楽』しんでいたのだ。(6巻260p)

 

 十香の純粋でプリミティブな歌うことの喜びは、士道にも、八舞姉妹にも、四糸乃にも、観客たちにも伝播していく。まず士道が十香に合わせたアドリブ演奏をして、八舞姉妹がそれに応える。「この舞台の上で、十香と一緒に歌いたい!」という思いが士道を動かしてく。

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 (思わずリズムを刻む四糸乃とよしのん。身体の底から沸き上がる表現が人に伝わっていく感動がある)

  かつて「食べる」という喜びを初めて知った十香。今度は「表現する」という喜びを生き生きと享受する姿はしみじみと泣けてくる。十香の歌は歌詞もところどころ間違っていたり、アドリブがあったりと、完璧なものとはいえない。しかし、歌や詩、絵画、この世界になぜ表現が存在するのかを身をもって示したのである。

 一方、美九のステージは、一言で言うなら、「完璧」だ。美九本来のアイドルとしての技量、計算された演出、さらには(琴里が仕掛けた)アクシデントすら霊装を駆使してさらなる熱狂を作り出す。アイドルだから当然であるが、そこにはどうしても打算が入る。美九は士道の身を巡った争いの勝利のために力をふるうのだ。

 十香の歌はもっとプリミティブで、全身で生の喜びを表現して、観客たちにそれを届けている。それはトラウマを抱えた美九が失ってしまったものなのだ。あのライブシーンが象徴的に二人の性質を対比している。

 さて、その抱える苦しみや肯定と否定が転倒したような十香と美九だが、最終的には士道とのふれあいや、存在を肯定されることによって救われていく。これこそがデート・ア・ライブという物語の原点といえるだろう。美九は最終的に歌うことの喜び――表現することの喜びを取り戻して、かつての自分のように、文化祭での十香のように、自分の生の声を世界に轟かせるのである。

 デート・ア・ライブの最初の物語の肝は「肯定する」ことだった。そして、美九は十香とは真逆の性質を持って、物語に登場するが、そのことが逆にこの美しい原点回帰を生み出したのである。

 原点回帰といえば、クライマックスで反転した十香に士道がキスをする。それが絶望に塗り込められた彼女の心を呼び覚ます。その時、十香の心によぎるのは士道との思い出だった。小さな愛の記憶が、精霊の反転という現象を乗り越える。デート・ア・ライブの愛の物語をこれからも見続けていたいと思わされる。

 

 劇場版万由里ジャッジメントが今年の夏に公開されるそうだ。みんな見に行こう!

魔法戦争全話レビュー 第三話『魔法学院と恋占い』

第三話『魔法学院と恋占い』

脚本:村上桃子 演出:八谷賢一 絵コンテ:工藤利春作 画監督:星野真澄・服部憲知

 

 魔法戦争前半戦で最高の話数。いわゆる神回だ。マホコ曰く「恋占いとか告白とか女子力の高いお話」。

 巨大タコや巨大くまのぬいぐるみが乱舞する練習場。朝練をする武たち。くるみがなぜかメチャクチャ露出度の高い服セクシーショーをしていると、当然男子がよってくる。そこにはマッシュルームカットの姿もある。武に見せたいのに、武は練習に夢中であまり関心を持ってくれないのが哀しい。伊田は爆発している。

 

「くるみ~授業始まっちゃうよ~」

 明るい六ちゃんの声が響く。露骨に不愉快そうにするくるみ。確かにかなり馴れ馴れしい態度だ。この短いシーンで六ちゃんが対人距離をつかめない子だと示す。六ちゃんは気にすることなく、くるみと一緒に更衣室に消えていった。六ちゃんはくるみを占いの館に誘うが、ここでもまったく会話が噛み合わない。

 

六「一緒に行こうよ!」

くるみ「お一人でどうぞ」

六「何占ってもらう!?」

 一方的にしゃべるタイプのコミュ症っぽい。恋占いには興味があり、くるみはチケットをもらった。その後は六ちゃんの胸の話になる。くるみは能力で将来胸が大きくなることがわかっているのだから、あんまり気にすることもない気がする。

 この3話では六ちゃんがクラスでハブられていたことが判明する。裏切り者の妹という扱いを受けているのだ。だが、魔法による洗脳は、比較的ポピュラーな手段らしい。また十が洗脳によって離反したのを隠しているのでもない。つまり、これは単なるイジメである。元々気に入らない六ちゃんに、叩きやすい材料ができたから叩いているにすぎないのだ。六ちゃんはしゃべるタイプのコミュ症で、クラス内で人間関係を築くのに苦労していたことが伺える。魔法戦争演出は巧みで、台詞で説明することなしにキャラクターの置かれている状況やそれぞれの性質を理解させてくれる。でなければ、原作7巻分を1クールに収めることなどできない。

 

 ところかわって食堂ではすばる魔法学院写真部の会議が繰り広げていた。大量のくるみの盗撮写真。獲物の分け前を決める写真部三人組に対し武は激怒。不満そうにする写真部に、くるみと付き合っていることを告げる(実はフェイク)。それをたまたま六ちゃんが聞いてしまったところから騒動が勃発する。

 六ちゃんはなんと、くるみの元に出向き、武と事故でキスしてしまった旨を告げるのだ。

六「助けてもらった日、保健室で転んで……くちが当たっちゃたのぉ」

 これにくるみは激高して走り去る。六ちゃんがクラスで浮いている理由がわかるというものだ。くるみは武を見つけると激突、そのくちびるを奪おうとする。しかし、武に防がれてしまう。くるみの過激な態度に、辟易した武はフェイクの恋人関係を止めるように言う。くるみは絶望し、3日ほど武らを無視するようになる。そんな折、マッシュルームカットの告白騒動のおかげで、自体は収束する。マッシュルームカットに追いすがられてトラウマを蘇らせたくるみを武が救ったのだ。マッシュルームは武に腕を締めあげられて、くるみに近づくなと凄まれる。ちょっと可哀想だ。

武「俺は付き合っているフリをやめようとは言ったけど、無視しろとは言ってない。やりすぎだよ」

くるみ「だって……嫌われたと思ったから……」

 くるみが写真部から押収した写真を見つける。その中から、一枚の写真を選んで、武に渡すのだった。それはあの水泳の時の写真で、どういうチョイスなのかは不明。この恋愛のごたごたの一コマが超重要な伏線になる。これは魔法戦争が、日常的な人間の心の動きを大切にしていることとも結びつく。人間を支えているのは、こうしたささやかな思い出なのだ。それは、戦争のうねりの中にあっても変わらないということを、スズキヒサシ先生は言っているのであろう。

と、雨降って地固まったかのように見えたが、くるみの不安は晴れなかった。

 

くるみ「武、あなたは誰が好きなの……?」

 武からすれば、ハッキリ言ってくるみは面倒な女ということになる。原作ではもっと露骨に泥沼に陥っている気にもなっていた。だが、それこそがくるみが良さなのだ。世界が滅んでも、くるみの恋心だけは変わらないだろうこのくるみとの恋愛のごたごたこそ、魔法戦争の本筋といえるかもしれない。