寿司は無限

アニメとかについて書きます。寿司は無限などと言っている割にせいぜい30皿が限度です

実写映画『僕は友達が少ない』は全はがないメディアミックスの中で最高!(あと去年の映画)

実写版『僕は友達が少ない

 はがないのメディアミックスで最高に面白かった。小鷹がそんなにムカつかないのがすごいし、栗原類の怪演も際立っていた。序盤・中盤・終盤、隙がない面白さ。まず序盤は北乃きいらによる「はがないごっこ」がそれだけで面白いという美味しさ。地味に最初のけいおん部の演奏がいい。というか、ロケ地が豊郷小なので、実質けいおんである。けいおんの擬似的な聖地巡礼が楽しめるのもグッド。原作1巻をそこそこ再現しており、楽しい。小鷹のモノローグもよかった。あと栗原類演じる生徒会長がすでにして面白い。これはオリキャラなのだが、全編通じてすさまじい存在感ではがないを牽引していく。また、なぜかパンチラが多い。栗原類が引き連れている妙にエロい眼鏡っこや星奈が度々パンツを見せるのだ。

 中盤からは理科のゲームの世界が現実を侵食するというもの。星奈がサイケデリックな集団に担がれるシーンだけが妙に色物っぽくて、このままのテンションでいったら、『パプリカ』的にスゴイことになるぞと思ったらそんなことはなかった。そして次第に明らかになる隣人部のハードな設定。スタジオジブリ最新作『思い出のマーニー』で主演を射止めた、高月彩良さん演じる楠幸村。彼女は本当にイジメられている。柏崎家では天馬が家令のステラとセックスしている。原作既読者には何を言ってるのかわからないと思うが、これが面白い。ずっと笑うを堪えるのに必死だった。また星奈はクラスでイジメまがいの嫌がらせを受けている。みんな、原作よりもハードな生をサヴァイヴしているのだ。また、渡辺謙の息子の渡辺大の出演にも注目したい。役名は「ゲームの世界で羽瀬川家いる男」。意味不明だが、見ても意味はわからない。

 終盤は夜空の心に迫っていく。夜空の小鷹への執着や世界への拒絶、そして小鷹の回答など、夜空と小鷹の物語は原作などよりも数段上を言っている。小鷹と栗原類演じる生徒会長との死闘も必見だし、栗原類が小鷹を思い切り罵るのも小気味がよい。夜空の心を救える小鷹は、映画の小鷹しかいない。それだけで、いかにはがないのメディアミックスの中で実写映画が優れているかがわかる。

 本作はラノベのそのまま再現の面白さや、設定改変のトンデモさ、青春映画としての面白さなど、多層的に楽しむことができる。公開日に見に行った価値はある面白さだった。

 

たまこラブストーリー

 見た時本当に夢中で見すぎて何も感想らしい感想は言えないというのが感想。たまこまーけっとから応援してきた思いが報われたようだった。でもまーけっとはそんなに評判よくなかったのにたまこラブストーリーが評判いいのは納得いかない。最初からたまこは面白かったぞ(憤懣)あと20%くらいかぐや姫の物語。高畑版たまこラブストーリーでは、もち蔵が東京で結婚して商店街が廃墟になって、たまこにお迎えがくる。

 

思い出のマーニー

 7月19日公開。スタジオジブリ最新作。麿こと米林宏昌監督は、高畑・宮崎がいなくてもできることを見せると豪語していた。つまり脱宮崎駿路線ということだが、少なくとも宮崎駿には絶対に描けないっぽいものを出してきたことは、評価してもいいのではないか。あんなふうに心を閉ざして湿地の泥のように絡む〈何か〉に苦しんでいる子っていうのはちょっと無理なんじゃないだろうか。心を閉ざして、鬱屈している。自己否定の塊のような可愛い女の子。もう深夜アニメっぽくて最高だった。

 

 その杏奈がふとっちょ豚(信子)に、自分の心を見透かされて泣きながら辿り着いた湿地で、マーニーと出会う。家のおばさんとか湿っ地屋敷に引っ越して女の子とか、人間は出てくるが、どこまでも杏奈とマーニーの話だった。杏奈は可愛いし、マーニーはスゴく美人で、この二人がいるだけで画面が華やぐ。この女の子が可愛いというのは、同じくジブリ若手監督の宮崎吾朗よりも数段上手なんじゃないだろうか。コクリコ坂も好きだけど……。ジブリヒロインで一番可愛いまであるでしょう。

 

 麿ジブリの子供は性格がネジ曲がっているのが特徴であり、長所だ。アリエッティ坊っちゃんも優しげな美少年だが、薄気味悪いほど独善的で無神経で残酷な少年だった。杏奈もいわゆる素直な子供とは全然違う子だ。冒頭部が最高で、誰もいない風景画を書きながら、自分を世界の魔法の輪に入れない異端者として意識を募らせて、喘息の発作を起こすところなどがよかった。鉛筆をカッターナイフでガリガリと削っているのも、印象的。生き辛さのようなものが伝わってくる。

 

 あとババアが怖い。アリエッティもマーニーも、お手伝いの婆さんが本当に嫌な人間として描かれているのが興味深い。なんか恨みでもあるんだろうか。特にアリエッティの婆さんは不可解な悪意と憎悪に満ちた人間として描かれている。あの人が出てくると一気に映画がホラーになるんだよなぁ。

 

 この作品、終始圧倒的な百合描写力で殴ってくる。身体的接触が非常に盛んなのだ。月光に映えるボートの上で漕ぎ方を教えたり、夜の庭で二人きりでダンスを踊ったり、嵐に崩れる廃墟で肩を寄せ合うなど、二人が絡むたびに百合で殴ってくるから、脳がちょっとふらふらになった。そして、和彦なるマーニーの幼なじみがパーティーに出てくる。その後の杏奈の反応がよくて、つまらそうに目をそらして「和彦って誰?」という。ありていに言って嫉妬なのだが、その後、マーニーと一緒に踊ってうやむやになってしまう。あとマーニーが美人なので、杏奈は面食いなんじゃないかって思ってしまう。

 あとは背景美術もよかった。北海道の湿原の湿った風や草、夜にかかる月の淡い光など、そういう感じが良く出ていて美しかった。湿度や身体に絡んでくるような描写が、この作品とよくマッチしていたと思う。

 

 さて、思い出のマーニーはおそらく百合か百合でないかという論争を生むこともあるのではないかと思う。まあ女の子が二人いれば百合なのだけど。一つ言えることは、マーニーの正体が○○だとして、○○と百合をしてはいけないという法はない。ただマーニーと杏奈は構造的に結ばれ得ないのは悲しい。あとは<ファミリーで見られるような作り>になっているあたりは評価が別れそうか。

魔法戦争全話レビュー 第二話『もうひとつの世界』

第二話『もうひとつの世界』

脚本:ふでやすかずゆき 演出:箕ノ口克己 絵コンテ:田所 修 作画監督:季ジェミン

 

 第二話はいわゆる説明会だ。しかしここでも魔法戦争は飛ばしてくる。といっても、とくに話は進まない。四条桃花に諸々の説明を受けて購買で魔剣をもらうだけだ。この“説明”が面白いのである。5分で考えたような系統魔法の説明をさらりとこなす。この魔法戦争の魔法体系はシンプルだが奥が深い。詳細は魔法戦争作者スズキヒサシ先生の個人サイト(http://www.eonet.ne.jp/~ogdoas/top.html)に掲載されているので、要チェクだ。

 そして話は第一次魔法大戦に移る。

 

 桃花「ゴーストトレイラーのリーダー、龍泉寺和馬はすべての人間を消し去ろうとしてラストレクイエムを使ったのです」

 回想の和馬「ラスト……レクイエム!!!!」

 

 この時点でもう面白い。ただの説明回で笑えるとは、やはり魔法戦争は素晴らしい。魔法学院に入るか魔法を失うか選択を迫られ、魔法学院入学をあっさり決意する。武はそもそも家庭から逃れたかったので、渡りに船だったのだろう。ちなみにアニメでは説明がないが、魔法はギフトでしか失うことができず、事実上入学しかないのだ。

 授業中、アスペクトがないことに気づいた武は、売店に買いに行く。案内するように言われた六ちゃんがナチュラルに武の腕をつかんで引っ張っていく。それをにらむくるみ。六ちゃんが行う、このような無自覚なくるみへのあてつけ。イノセントな悪意にくるみが苛まれ続けていく。

 

「私とアーサーは初等科の六年の頃からの付き合い……」などと、ものすごいドヤ顔で自慢気に銃を取り出す六ちゃんが可愛かった。アーサーってなんだよ。ここで魔法貴族についての説明がある。魔法貴族とは家族によって魔法が発現した者を指す。貴族ってそういうことじゃない気もするが、この開明的な世界こそ魔法戦争。安易な血族主義には堕さないという志が感じられる。ちなみにこの魔法貴族の設定が出てくる意味はあまりなかった。

 売店の加藤さんに名前をたかしと間違えられた武は魔剣トワイライトをもらえた。前の持ち主が女性で……などといろいろ言っているが、要するに武の母のお下がりということだ。母の魔剣を売店で買った武の明日はどっちだ・

 ここで敵パート。ウィザードブレスの魔法使いを皆殺しにしたヴァイオレット先生。ローブをかぶっていたが、こんなもので美貌を隠すことはできないらしい。ワシズ様も乗るリムジンに乗り込み、軽口を叩く二人。

ワシズ様「はいはい、じゃあお城に戻りますよ。眠り王子が待っていますからね」

 すると、魔法陣に包まれた車は消え去った。車に乗る意味とは。また実はお城というのは単なる比喩である。ラストレクイエム和馬が眠る場所、そこに魔法戦争の真骨頂があるのだが、それはまた次の機会に語ろうと思う。

生命の喜び

行き場のないアニメレビューその2

 

 単なるSF軍事モノかと思ってぼけーっと見ていたら、百合アニメだった。岸監督よれば、原作の多様な要素を一つにまとめ、辿り着いたのが、メンタルモデルたちの心の問題だった。人間であるはずの群像よりも、いろいろな感情を表現するみんなは生き生きとしていた。

 「我々はどこから来て、どこへ行くのか?」この問いかけは、今秋アニメ化される寄生獣を思わせる。霧の艦隊がこの世に生まれた時、ある命令(アドミラリティコード)を受けた。それが海上の人類への攻撃で、詳細はわからないが本能のようなものなのだろう。しかし、心を持った者達は、本能に従わなくなる。登場するメンタルモデルのほぼすべてに、ある感情が芽生えるのだ。それはやはり、愛と言うべきだろう。

 

 イオナとコンゴウの百合がよかった。頑なに失せつつある本能に従おうとするコンゴウ。メンタルモデルたちの離反や、心の拠り所だったマヤの正体を知り、心を閉ざした彼女を救ったのがイオナだった。ナガラ型と融合した巨大な球は、コンゴウの心の殻だった。彼女の繰り出す剣戟が氷の結晶のような形をしていたが、『アナと雪の女王』みたいだった。出奔する前のエルサがそうだったように、コンゴウもまた、自分の心を抑圧して、思うように生きられないでいたのだ。

 その中心にあるむき出しの心に肉薄して、ミサイルも剣戟も乗り越えるイオナは、愛そのものだ。コンゴウの手を取り、その心に直接つながるのだから、最後の戦いは、むき出しの心のぶつかり合いなのだ。

 

 コンゴウの苦しみはすべて、心を持ったために発生するものだった。ただの兵器のままであれば、裏切りに憤ることもない。マヤに心がないのを悲しむこともない。冷然と命令に従っているふりをしているコンゴウが、もっとも人間的な矛盾や感情に苦しめられているのが趣深かった。だからこそ、コンゴウはこんな世界を認識したくなかったと叫ぶ。これを人間風に言えば、「生まれてこなければよかった」となる。

 

 そう叫んでこの世界から永遠に旅だったヒロインがいた。『かぐや姫の物語』のかぐや姫だ。この星は雑多な感情に満ちている。それの中には、心を押しつぶすような苦しみを生むものも多い。かぐや姫が抑圧的な「高貴な姫」としてルールやどこまでも自分をモノとしてしか見ない世界に絶望して、月への帰還(≒死)を望む叫びを上げたように、コンゴウもナノマテリアルの月の奥底に、傷ついた心を沈めて、他のメンタルモデルを巻き込んで心中しようとした。兵器が心中などするだろうか。怒りと悲しみに押しつぶされそうになって、この答えを出したコンゴウは誰よりも人間らしかった。

 

 「心を持たなければ苦しまない」という話は頻出で、凪のあすからでもまなかの心から「人を好きになる気持ち」が失せて、恋愛で傷ついていた人はみな、こんな気持ちなどいらないと言っていた。しかし、美海やまなかが示した答え、「好きという気持ちはだめじゃない」という純粋な思いが海に溶けて、神の楔は解けたのだった。まなかたちは、小さな希望の光を示し、世界の大きな流れを変革させたのである。

 

 かぐや姫も、凪あすも、アルペジオも、感情から身を守りすぎて、それを捨ててしまいたいという思いが描かれている。天人の羽衣も、冬眠に厚くなるエナも、巨大な戦艦も、すべての感情から身を守る繭だ。それでも、私たちの感情は湧きだして世界を彩る。かぐや姫がそれでも青い地球に振り返り涙したように、まなかや美海が愛で海を照らしたように、イオナがコンゴウの心を抱きとめて救ったように。

 私たちの中からあふれてくるものを肯定してくれるのだ。彩りに満ちた感情があるからこそ、この世界は魅力的にもなる。心を持って生きることの喜びを、イオナがコンゴウに教えてくれたのだ。イオナもアドミラリティコードにせよ、群像の命令せよ、とにかく機械的で複雑な情を持たなかった。コンゴウも命令に従うだけの冷たい機械だった。心と身体を得てからはイオナの周りにはたくさんの人が集まってくるのに対して、コンゴウは孤独になる一方だった。イオナが喜びや悲しみ、死を知って人間の心を学んでいくなかで芽生えた自らの意志がそんなコンゴウを救いたいというのが最高だった。

 

 最後の戦いで追い詰められたコンゴウは、イオナの手が延びる刹那、「やめてっ」とこれまでとは違うか細い声をあげる。傷ついた心に直に触れられるのは誰でも恐ろしいのだから。しかし、イオナの手はコンゴウのほほを優しく包んでいく。暗い部屋で、うずくまり、涙にぬれるコンゴウをイオナは優しく抱きしめた。この時、コンゴウとイオナはお互いの全存在を分かち合ったかのような感覚を得ただろう。こんな上質な百合がこのアニメで見られるとは思わなかった。劇場版の制作も決定しているし、イオコンから目が離せない。

魔法戦争全話レビュー 第一話『真夏の魔法少女』

 あの傑作アニメ魔法戦争からもう一年だそうで。そんなわけで毎週木曜深夜に魔法戦争の各話レビューを載せていこうと思います

 

 第一話 真夏の魔法少女

脚本:ふでやすかずゆき 演出:真野玲 絵コンテ:佐藤雄三 作画監督:江畑諒真

 

 

 記念すべき第1話。世間ではアニメは3話まで見ろというが、魔法戦争はこの1話だけでわかる。無論、魔法戦争は全話面白い。しかし、1話で作品の魅力をきっちりと伝えてくれる。つまり、この初回に魔法戦争の魅力がつまっているのだ。

 いきなり出てきた相羽六ちゃんによって魔法使いになった七瀬武。彼は六を追うゴーストトレイラーの魔法使いとの戦闘に巻き込まれる。とここまでならよくある展開だが、そのディテールが素晴らしい。鉄製の大剣と竹刀で激しい打ち合いをするのである。竹と鉄では、一瞬で竹刀が大破しそうな気がするが、なぜかなかなか壊れない。このことへの説明は特にない。最初見た時は、無意識の内に、魔力による強化(fate並み)を行ったのではと思ったが、そんなことはないようだ。この異常なシーンで、ぼーっと見ていた私の意識は、画面に引きつけられた。この“異常さ”を利用した演出の巧みは、全編にわたって繰り返される。

 

 くるみ、伊田君もあれよあれよという間に魔法使いとなる。なんと、他人に魔法に触れた人間は魔法使いになれるのである。個人差はあるが、25歳くらいまでなら、魔法が発現するという。異能の大盤振る舞いこそ、魔法戦争の肝だ。『異能バトルは日常系のなかで』よりも魔法戦争の方が高校生が突然異能に目覚めた状況をリアルな筆致で描いている。

 

 魔法ものには、魔法使いを特権階級において貴族主義的な社会を形成しているものが少なくない。fateとか魔法科とかそういうののことだ。魔法が血統によって受け継がれる設定なら、それも自然のなりゆきといえるかもしれない。しかし、魔法戦争において、ほとんどすべての人間に魔法の資質があるのだ。彼らは本当に、ただの高校生にすぎない。しかし、魔法使いとなる。この開放的な設定に感銘を受けた。血統主義への強烈なカウンターである。武は伝説的な魔法使いの息子だが、だからといって人より優れているかというと、そんなことはない。

 

 第一話からして、六ちゃんの可愛さもたっぷりだ。武と事故でキスした六が武を攻撃して、魔法使いにしてしまう。曰く、つい撃ってしまったそうだ。それを泣きながら詫びる六ちゃん。その性格のおかしさが、さらりと現れている。六ちゃんと並んで今作のメインヒロインを務める五十島くるみにも注目だ。彼女は明らかに異質な狼神らを前にしても、気にするのは武と六のことだけだ。

 

「六……?なんで武この子のこと名前で!」

「邪魔しないでよ!この子にまだ聞きたいことがあるんだから!(六を襲う敵に出席簿を叩きつけながら)」

 

 魔法を信じるかとはともかく、剣を持った暴漢が目の前にいるのに、この強気さと武の執着。くるみの魅力がこの短いシーンのうちに表現されている。これは原作の1巻からしてそうだ。原作では魔法使いになってから逃走してしばらく話が続く。そこで、くるみは魔法の存在を信じず、新手の詐欺と断じる。そして、武の魔法学院行きを聞いて、その後を追うのだ。

 くるみの最優先事項は、武だ。これこそ、魔法戦争の魅力、”人間の自然な感情”だ。目の前の異様な魔法使いたちよりも、恋の鞘当てを優先する。このくるみの人間性は全編に貫かれている。確かな生活感覚こそ、魔法戦争が原作からもつ、もっとも大きな魅力のうちの一つだ。愛情や友情など我々が持つ様々な感情。それらを大切に描いているアニメなのだ。魔法戦争のキャラクターには生の実感がある。

 

 また、現実世界で魔法使いを魔法で攻撃すると、魔力を失うという設定(ギフトと称す)の説明のためだけに、追手の一人(牛若)の虫攻撃が六ちゃんに当たるのも奇妙だった。魔法使うなって言っているのに。

 

 なんやかやで六と共に狼神たちを退けた武たちは、崩壊世界のすばる魔法学院へと誘われる。ちなみにこの24分間で原作の1巻分を消化している。原作を切り取り圧縮し、1話に仕上げた上で、原作の良さを表現仕切ったとの手際は見事と言わざるをえない。

アニメ雑感

アニメレビューの供養

 

  • WUG

 本当に面白かった。アイドル・アニメとか本当に見ないんだけど、これは別だった。ラブライブは付き合いって感じで見てて、エレベーターで会ったら気まずくなるタイプだけど、WUGは友達。まず出てくる奴らが全員モブ臭い。これがいい。この世界で生きている大半はモブみたいなものだ。だからといって私たちが何もできないわけではない。

 

 みんなどうしようもない連中だったけど、喧嘩したり仲良くなったりを繰り返しながら、ちょっといけちゃうかもって思える瞬間は確かにあった。その気持ちを共有できたのがよかった。社長がいうところの、背景も人生も違う連中が仲間になる瞬間、そのカタルシスは十分あった。

 

 あと皮肉でもなんでもなく斬新だと思ったのは、一番作画が安定しないのがライブシーンだってこと。普通は厳しい状態でもそこに力を入れるものだろうけど、その状況をうまく逆手にとっていると思った。つまり、ハラハラする。ここで落選しちゃうんじゃないか、と思わずにはいられない。これが実に効果的で、コロンブスの卵的だった。

 

 まあ監督がアイドルの汚い面も描くといった割には……っと思わなくはない。なんだかんだ言っていいオトナに囲まれるWUGだけど、あんな連中、そうでもなけりゃとっくに潰れているだろうから。そういう弱さが魅力。

 

 この期のバオー来訪者枠。研究所から逃げ出してきた実験体は予知能力者と一緒で、寄生した超生物は成虫になると世界を破壊するのである。そして、最強の超能力者との戦い。バオー来訪者は面白いなぁ。あとは最終話の詰め込みっぷりが最高だった。村上君が九に飛び蹴りをかます時に、3カメで映してくるのもいいし、バカスカ人が死んでそれがギャグにもならなくて薄っぺらなところもいい。こういうしょーもないアニメが1期に1本くらいあると心が落ち着く。

 

 単なる魔法戦争の後座以上によかった。愛するものが生きるこの世界は美しい。みんな可愛かったけど、美月会長がらみのしょーもない恋愛のごたごたホント好きだったからもっとやってほしかったなぁ。春香と優には幸せになってほしい。彼らの恋愛と呼べるか不明な心の交流は、ささやかなものだが、そのちっぽけなものこそ素晴らしいのである。

 

 栗山さんが可愛くて本当に最高だった。この期のバオー来訪者枠だったが、ちょっと極黒のブリュンヒルデに持って行かれた感。でもこっちも面白い。世界から爪弾きにされた孤独な魂がひかれあうのがたまらない。言うほど孤独って感じでもないけど。まあ異端者であることに変わりはないか。

 

「私は人間に見えますか?」

 

 悲しい台詞だ。ただ主人公の眼鏡語りはうざかったし、茅原ひたぎさんもうざかった。栗山さん以外はちょっと一段落ちるけど、それを補って余りある。最後の盛り上がりは感動できたし、栗山さんの思いと主人公の思いが交差する悲しさも伝わってきた。ちなみに劇場版やるらしい。たまこラブストーリーレベルを期待したい!すごく楽しみだ!

 

 デート・ア・ライブや蒼き鋼のアルペジオ、魔法戦争についてはまた書きます。特に魔法戦争は毀誉褒貶の激しい作品ですが、素晴らしい魅力にあふれていると思うので、ぜひ良さを伝えていきたいです

 

 

ブログ始めました

 多分アニメとか見て言いたいことがあれば書きます。たとえば異能バトルは日常系のなかでが胸糞悪いとか(堂々宣戦布告)。デート・ア・ライブ劇場版万由里ジャッジメントが楽しみだなぁとかそういうの

 

 思い出のアニメはシスプリ学校の怪談ソ・ラ・ノ・ヲ・トけいおん境界の彼方たまこまーけっと咲-Saki-が好きです。最近はデート・ア・ライブや魔法戦争、凪のあすから、蒼き鋼のアルペジオ、結城友奈は勇者である、山賊の娘ローニャにはまってます。あとアンパンマンにわかです