寿司は無限

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暗黒神話咲-Saki-説

 言わずもがな『咲-Saki-』は小林立氏の手による人気漫画である。その魅力的なキャラクターと深淵な世界観に人々は惹きつけられ、聖地捜索や元ネタ考察には数多のファンが参画し、百家争鳴の様相を呈している。筆者は今回、新たなる咲-Saki-のモチーフを発見した。これを新説として世に問いたいと思う。その説とは、題の通り暗黒神話咲説」である(野獣先輩○○説風)。あとこれは大分前に書かれたものなので、情報が古いかもしれません(予防線)。

 

 『暗黒神話』を知らない方のために、まずはこの作品の説明から入ろう。『暗黒神話』は諸星大二郎氏による漫画作品である。1976年の週刊少年ジャンプ20号から25号に渡って連載された。ごく簡単に言えば、ヤマトタケルの転生である少年武が、前世での旅路を再現しながら、宇宙の絶対者であり選ばれたる者=アートマンとして覚醒するというストーリーである。その旅路の中では、スサノオヤマトタケルなどの日本神話、邪馬台国、竹原古墳の神馬、庚申信仰、馬頭観音など、様々な要素が独自の解釈によって壮大な伝奇を織り成していく。姉妹編ともいえる『孔子暗黒伝』と合わせて、諸星大二郎の代表作だ。


暗黒神話(1/2) 餓鬼の章.mpg - YouTube


暗黒神話(2/2) 天の章.mpg - YouTube

 こんな昔の漫画が何故『咲-Saki-』と関係あるのかと思われるかもしれない。しかし、詳細に検証していくと、二つの作品は奇妙な一致を見る。

 

検証① 山門武の旅路と出場校の一致

 『暗黒神話』の主人公、山門武はヤマトタケルの旅路を再現しながら聖痕を受けアートマンとして目覚めると述べた。まずは全国を巡ったヤマトタケルの行路で、諸星大二郎が選んだ地を時系列順に挙げることとする。長野県茅野市蓼科山での回想から物語は始まる。

 東京都三鷹市、長野県蓼科山島根県出雲大社熊本県菊池郡、福岡県宮若市、竹原古墳、国東半島、大阪府羽曳野市・白鳥陵、奈良県橿原市・石舞台、兵庫県川西市及び大阪府豊能郡妙見山、静岡県焼津市の海、東京都武蔵野市・井の頭公園をめぐり超越者の証である聖痕を受けていく。

 長野、東京、福岡、大阪、奈良、兵庫。『咲-Saki-』に登場する清澄、白糸台、新道寺、千里山姫松、阿知賀、劔谷……それぞれの出身県と見事に対応している。特に阿知賀編の色が強いと言えるだろう。ここで出雲、熊本、国東、焼津はどこへ行ったのかと思われる方もいるであろう(注一)。その疑問の答えも無論用意してある。『咲-Saki-』の対戦表をよく見ていただきたい。side-Aの出場校で重要なものを上から列挙していく。白糸台(西東京)、粕渕(島根)、新道寺(福岡)、郡浦(熊本)、観海寺(大分)、劔谷(兵庫)、由比(静岡)、阿知賀(奈良)、千里山(大阪)である。もうお気付きだろう。『暗黒神話』における山門武の旅路そのものである。穏乃たちは『暗黒神話』の道程を擬似的に繰り返すことで、その力を開花させていった(特に穏乃は)。それは聖痕を受けて覚者へと至る道筋をなぞることでもあるのだ。

 『咲-Saki-』によ『暗黒神話』にせよ、長野諏訪の役割は重要である。最初に『暗黒神話』には姉妹編として、『孔子暗黒伝』があると述べた。これは中国の孔子に拾われた赤なる少年が、自らの影であるアスラと一つとなり、周辺世界を巡る物語である。その旅路の終着点こそ、諏訪湖である。そして、最終的に『暗黒神話』の冒頭部とつながる。つまり二つの作品は諏訪湖を因果の中心とした円環構造をなしているといえる。『咲-Saki-』の本編、その開始地点としてもっともふさわしい。そもそも阿知賀編の物語は和の長野への移住が契機の一つであり、長野はここにおいても因縁をまとう。

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(『暗黒神話』に登場する尖石縄文考古館。咲-Saki-の“聖地”と重なりあう。ちなみに右側の八ヶ岳はFATALIZER主人公士栗の故郷でもあった)

 また菊池彦率いる菊池一族が熊襲の末裔であることにも注目したい。熊襲の中心地には様々な説があり、熊本県菊池郡もその一つだ。しかし、熊襲風土記において、「球磨曽於」表現されている。「球磨」は熊本県球磨郡を指しており、「曽於」は現在の鹿児島県霧島市周辺である(wiki)。鹿児島県霧島市といえば、永水女子の地元である。また菊池一族の紅一点、大神美弥が奇妙な鬼の仮面をかぶり、武を驚かすというシーンがある。これは永水女子の副将、薄墨初美が悪石島の神「ボゼ」の仮面で和を威圧したのと酷似している。神代一族もまた古代日本人の血統を継ぐものなのかもしれない。

 

検証② 諏訪と武蔵野を結ぶもの

 疑り深い方は、「全都道府県あるのだから、被るのは当たり前だろう」と思われるかもしれない。阿知賀編において取り上げられている学校がすべて『暗黒神話』と重なっていることは揺るぎない事実ではあるが、根拠はそれだけはない。

 諏訪と武蔵野は『暗黒神話』の中で重要な場所である。因縁の始まりの地である諏訪、そして旅の終わりの地、武蔵野。武は武蔵野に住みながら、何度も諏訪に赴いていた。武蔵野とは、川越から府中までの間に広がる地域のことだ。諏訪と武蔵野という土地は、『咲-Saki-』においても非常に重要である。白糸台は、府中市に位置し、三鷹や井の頭公園にも近い。

 宮永咲・照姉妹は言うまでもないことだが、長野県の諏訪湖周辺で生まれ育ったと思われる。本編に描かれていないため断定はできないが、おそらく諏訪は宮永姉妹因縁の土地であろう。武が諏訪で父を失ったように、彼女たちも何かを喪失したのかもしれない。

 『暗黒神話』で重要なキーワードはスサノオである。「スサノオ」の力を巡る物語なのだ。『暗黒神話』作中では、でスサノオ=馬頭観音=馬頭星雲という超理論が展開される。「馬頭観音」とは観世音菩薩の化身であり、多くは馬の飾りを頭に戴く。馬頭は悪魔を下し煩悩を断つ力を表徴するが、一般的には馬の守り神として信仰されている。大切な交通手段や労働力であった馬の鎮魂のために、各地に「馬頭観音」と書かれた石碑があるのだ。国東半島編でも馬頭観音の石仏と馬頭の庚申塔が登場する。

 この馬頭観音、なんと西武多摩川線白糸台駅にも存在するのだ。暗黒神話咲説を温めていた筆者は、聖地巡礼のために白糸台駅を訪れて驚愕した。小林先生もここを訪れて、『暗黒神話』に思いを馳せたに違いないと思われた。石碑には花と小さな人参が備えてあり、地元の方に馬頭観音の碑が親しまれていることが感じられた。由来は石碑の文字がよく読めず分からなかったが、新しいものであれば付近の競馬場と関わりがあるのかもしれない。

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(こじんまりとした駅前にひっそりと佇む。真新しい花が地元に根づいた信仰を感じさせてくれた) 

 これはまったくの余談であるが、駅のすぐそばの個人商店には雑多なダンボール箱が重ねられていた。その中に、「しらたき」「糸こんにゃく」と文字が目についた。これはまさに白糸台の試合を観戦していた優希のセリフそのものだ。あれはなんとなく生まれたものではなくて、小林立が実際にここを訪れて、この道を通り思いついたものではあるまいか(なお個人商店ため撮影は自粛した)。

 馬頭観音と同じく、庚申塔は『暗黒神話』において大きなカギとなる。国東、妙見山に登場する。ここで重要視されているのは、庚申塔に描かれているのは、日と月を両手に戴いている姿であるという点だ。作中では、アマテラス・ツクヨミが太陽・月の神格化であるなら、「スサノオもまた天体だった」ということになっている。また庚申塔に刻まれているのは、羅睺(らごう)が地に降ったもの、黄幡(おうばん)である……とされている。羅睺とは日月に出会って食を起こす架空の星で、これも馬頭星雲を指す一つの象徴とということになっている。さらに聖痕を受けた場所をつなぎ合わせると、馬頭星雲のあるオリオン座の形を成す……ということになっている。このように暗黒神話』では星の神話が語られているのだ。死と祟りをもたらす恐るべき凶星の神話である。

 阿知賀編16話の扉絵では、大星淡と白糸台付近の神社が描かれている。ここには庚申塔が祀られているのだ。青面金剛猿田彦を祀る一般的な庚申塔であるが、日と月を掲げていることは同じである。なぜここに大星淡が描かれているのか。そこに込められた意味が見えては来ないだろうか。すなわち、天江衣(月)・宮永照(太陽)に次ぐ「魔物」であることを示しているとでも言うのだろうか。

 また白糸台高校の宮永照は知っての通り、高校生一万人の頂点である。前年度の個人戦2位、三箇牧の荒川憩をして人間ではないと言わしめる強さを持ち、照魔鏡や連続和了といった異能で松実玄や園城寺怜、花田煌を苦しめた。なぜ彼女がこれほどの力を持っているのだろうか。

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(溝合神社全景と内部。小林先生もこの地に来て、扉絵の背景を選んだのだろうか)

 『暗黒神話』における「アートマン」とは「永遠の無にして永遠の力 すべての時間と空間を支配する」ブラフマンの分身でありその力を受け継ぐ者である。『孔子暗黒伝』では、並外れた能力を持ち人類の歴史を変えうる人間と語られていた。彼らは無数の時空に出現し人類という存在を照らしだす。照の超人的な能力も彼女がアートマンだと考えれば納得がいく。照の能力には照魔鏡と呼ばれるものがあるが、これはおそらく八咫の鏡であろう。天の岩戸開きに際してアマテラスの姿を映した八咫の鏡こそ、照の力にふさわしい。『暗黒神話』にもアートマン(≒ヤマトタケル)の証として、三種の神器が登場した。

 諏訪、武蔵野、馬頭観音、庚申塔アートマン。すべてが一本の線で結ばれた。なぜ小林立諸星大二郎をリスペクトしなくてはならないのだと思われる方がいるかもしれない。だが、諸星大二郎氏のファンを公言する著名人は、宮崎駿庵野秀明、白石晃士、藤田和日郎萩尾望都高橋留美子江口寿史細野晴臣大槻ケンヂなど各界に無数にいる。また江口寿史氏が自身のツイッターで、諸星氏と大友克洋氏が居酒屋らしき場所にいる写真をアップロードしたことは記憶に新しい。諸星大二郎は、多くのジャンル、多くのクリエイターに影響を与えているわけである。明らかになっていないだけで、小林立がその一人であったとしても不思議でないのだ。

以上の検証の結果、『暗黒神話』は『咲-Saki-』である。Q.E.D(証明終了)

 

(注1)この文章を書き終えたしばらく経った、2013年9月25日現在、暗黒神話咲-Saki-説を補強させ、完成せしめる新展開があった。『シノハユ』である。主人公である白築慕は、母の蒸発を契機として島根県松江市周辺とおぼしき地へ行くことになる。物語はここで進行することになると思われる。暗黒神話咲-Saki-説において、出雲の未登場が論拠を弱める原因になっていた。しかし、『シノハユ』で出雲が登場することによって、暗黒神話咲-Saki-説はより完璧に近づいたといえよう。

 慕は一索の鳥や車の車窓から見える鳥に、母親の姿を見出すが、これは病に倒れたヤマトタケルが最後、白鳥となり西の空へ飛び去った神話を思い起こさせる。空を飛ぶ鳥は人間の魂の象徴であったのだ。また『孔子暗黒伝』においては、生命の象徴である魚と対地され、「魚の生と鳥の死」と言われている。とすれば、彼女の母はすでにこの世のものではないのかもしれない。