寿司は無限

アニメとかについて書きます。寿司は無限などと言っている割にせいぜい30皿が限度です

生命の喜び

行き場のないアニメレビューその2

 

 単なるSF軍事モノかと思ってぼけーっと見ていたら、百合アニメだった。岸監督よれば、原作の多様な要素を一つにまとめ、辿り着いたのが、メンタルモデルたちの心の問題だった。人間であるはずの群像よりも、いろいろな感情を表現するみんなは生き生きとしていた。

 「我々はどこから来て、どこへ行くのか?」この問いかけは、今秋アニメ化される寄生獣を思わせる。霧の艦隊がこの世に生まれた時、ある命令(アドミラリティコード)を受けた。それが海上の人類への攻撃で、詳細はわからないが本能のようなものなのだろう。しかし、心を持った者達は、本能に従わなくなる。登場するメンタルモデルのほぼすべてに、ある感情が芽生えるのだ。それはやはり、愛と言うべきだろう。

 

 イオナとコンゴウの百合がよかった。頑なに失せつつある本能に従おうとするコンゴウ。メンタルモデルたちの離反や、心の拠り所だったマヤの正体を知り、心を閉ざした彼女を救ったのがイオナだった。ナガラ型と融合した巨大な球は、コンゴウの心の殻だった。彼女の繰り出す剣戟が氷の結晶のような形をしていたが、『アナと雪の女王』みたいだった。出奔する前のエルサがそうだったように、コンゴウもまた、自分の心を抑圧して、思うように生きられないでいたのだ。

 その中心にあるむき出しの心に肉薄して、ミサイルも剣戟も乗り越えるイオナは、愛そのものだ。コンゴウの手を取り、その心に直接つながるのだから、最後の戦いは、むき出しの心のぶつかり合いなのだ。

 

 コンゴウの苦しみはすべて、心を持ったために発生するものだった。ただの兵器のままであれば、裏切りに憤ることもない。マヤに心がないのを悲しむこともない。冷然と命令に従っているふりをしているコンゴウが、もっとも人間的な矛盾や感情に苦しめられているのが趣深かった。だからこそ、コンゴウはこんな世界を認識したくなかったと叫ぶ。これを人間風に言えば、「生まれてこなければよかった」となる。

 

 そう叫んでこの世界から永遠に旅だったヒロインがいた。『かぐや姫の物語』のかぐや姫だ。この星は雑多な感情に満ちている。それの中には、心を押しつぶすような苦しみを生むものも多い。かぐや姫が抑圧的な「高貴な姫」としてルールやどこまでも自分をモノとしてしか見ない世界に絶望して、月への帰還(≒死)を望む叫びを上げたように、コンゴウもナノマテリアルの月の奥底に、傷ついた心を沈めて、他のメンタルモデルを巻き込んで心中しようとした。兵器が心中などするだろうか。怒りと悲しみに押しつぶされそうになって、この答えを出したコンゴウは誰よりも人間らしかった。

 

 「心を持たなければ苦しまない」という話は頻出で、凪のあすからでもまなかの心から「人を好きになる気持ち」が失せて、恋愛で傷ついていた人はみな、こんな気持ちなどいらないと言っていた。しかし、美海やまなかが示した答え、「好きという気持ちはだめじゃない」という純粋な思いが海に溶けて、神の楔は解けたのだった。まなかたちは、小さな希望の光を示し、世界の大きな流れを変革させたのである。

 

 かぐや姫も、凪あすも、アルペジオも、感情から身を守りすぎて、それを捨ててしまいたいという思いが描かれている。天人の羽衣も、冬眠に厚くなるエナも、巨大な戦艦も、すべての感情から身を守る繭だ。それでも、私たちの感情は湧きだして世界を彩る。かぐや姫がそれでも青い地球に振り返り涙したように、まなかや美海が愛で海を照らしたように、イオナがコンゴウの心を抱きとめて救ったように。

 私たちの中からあふれてくるものを肯定してくれるのだ。彩りに満ちた感情があるからこそ、この世界は魅力的にもなる。心を持って生きることの喜びを、イオナがコンゴウに教えてくれたのだ。イオナもアドミラリティコードにせよ、群像の命令せよ、とにかく機械的で複雑な情を持たなかった。コンゴウも命令に従うだけの冷たい機械だった。心と身体を得てからはイオナの周りにはたくさんの人が集まってくるのに対して、コンゴウは孤独になる一方だった。イオナが喜びや悲しみ、死を知って人間の心を学んでいくなかで芽生えた自らの意志がそんなコンゴウを救いたいというのが最高だった。

 

 最後の戦いで追い詰められたコンゴウは、イオナの手が延びる刹那、「やめてっ」とこれまでとは違うか細い声をあげる。傷ついた心に直に触れられるのは誰でも恐ろしいのだから。しかし、イオナの手はコンゴウのほほを優しく包んでいく。暗い部屋で、うずくまり、涙にぬれるコンゴウをイオナは優しく抱きしめた。この時、コンゴウとイオナはお互いの全存在を分かち合ったかのような感覚を得ただろう。こんな上質な百合がこのアニメで見られるとは思わなかった。劇場版の制作も決定しているし、イオコンから目が離せない。