寿司は無限

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魔法戦争全話レビュー 第一話『真夏の魔法少女』

 あの傑作アニメ魔法戦争からもう一年だそうで。そんなわけで毎週木曜深夜に魔法戦争の各話レビューを載せていこうと思います

 

 第一話 真夏の魔法少女

脚本:ふでやすかずゆき 演出:真野玲 絵コンテ:佐藤雄三 作画監督:江畑諒真

 

 

 記念すべき第1話。世間ではアニメは3話まで見ろというが、魔法戦争はこの1話だけでわかる。無論、魔法戦争は全話面白い。しかし、1話で作品の魅力をきっちりと伝えてくれる。つまり、この初回に魔法戦争の魅力がつまっているのだ。

 いきなり出てきた相羽六ちゃんによって魔法使いになった七瀬武。彼は六を追うゴーストトレイラーの魔法使いとの戦闘に巻き込まれる。とここまでならよくある展開だが、そのディテールが素晴らしい。鉄製の大剣と竹刀で激しい打ち合いをするのである。竹と鉄では、一瞬で竹刀が大破しそうな気がするが、なぜかなかなか壊れない。このことへの説明は特にない。最初見た時は、無意識の内に、魔力による強化(fate並み)を行ったのではと思ったが、そんなことはないようだ。この異常なシーンで、ぼーっと見ていた私の意識は、画面に引きつけられた。この“異常さ”を利用した演出の巧みは、全編にわたって繰り返される。

 

 くるみ、伊田君もあれよあれよという間に魔法使いとなる。なんと、他人に魔法に触れた人間は魔法使いになれるのである。個人差はあるが、25歳くらいまでなら、魔法が発現するという。異能の大盤振る舞いこそ、魔法戦争の肝だ。『異能バトルは日常系のなかで』よりも魔法戦争の方が高校生が突然異能に目覚めた状況をリアルな筆致で描いている。

 

 魔法ものには、魔法使いを特権階級において貴族主義的な社会を形成しているものが少なくない。fateとか魔法科とかそういうののことだ。魔法が血統によって受け継がれる設定なら、それも自然のなりゆきといえるかもしれない。しかし、魔法戦争において、ほとんどすべての人間に魔法の資質があるのだ。彼らは本当に、ただの高校生にすぎない。しかし、魔法使いとなる。この開放的な設定に感銘を受けた。血統主義への強烈なカウンターである。武は伝説的な魔法使いの息子だが、だからといって人より優れているかというと、そんなことはない。

 

 第一話からして、六ちゃんの可愛さもたっぷりだ。武と事故でキスした六が武を攻撃して、魔法使いにしてしまう。曰く、つい撃ってしまったそうだ。それを泣きながら詫びる六ちゃん。その性格のおかしさが、さらりと現れている。六ちゃんと並んで今作のメインヒロインを務める五十島くるみにも注目だ。彼女は明らかに異質な狼神らを前にしても、気にするのは武と六のことだけだ。

 

「六……?なんで武この子のこと名前で!」

「邪魔しないでよ!この子にまだ聞きたいことがあるんだから!(六を襲う敵に出席簿を叩きつけながら)」

 

 魔法を信じるかとはともかく、剣を持った暴漢が目の前にいるのに、この強気さと武の執着。くるみの魅力がこの短いシーンのうちに表現されている。これは原作の1巻からしてそうだ。原作では魔法使いになってから逃走してしばらく話が続く。そこで、くるみは魔法の存在を信じず、新手の詐欺と断じる。そして、武の魔法学院行きを聞いて、その後を追うのだ。

 くるみの最優先事項は、武だ。これこそ、魔法戦争の魅力、”人間の自然な感情”だ。目の前の異様な魔法使いたちよりも、恋の鞘当てを優先する。このくるみの人間性は全編に貫かれている。確かな生活感覚こそ、魔法戦争が原作からもつ、もっとも大きな魅力のうちの一つだ。愛情や友情など我々が持つ様々な感情。それらを大切に描いているアニメなのだ。魔法戦争のキャラクターには生の実感がある。

 

 また、現実世界で魔法使いを魔法で攻撃すると、魔力を失うという設定(ギフトと称す)の説明のためだけに、追手の一人(牛若)の虫攻撃が六ちゃんに当たるのも奇妙だった。魔法使うなって言っているのに。

 

 なんやかやで六と共に狼神たちを退けた武たちは、崩壊世界のすばる魔法学院へと誘われる。ちなみにこの24分間で原作の1巻分を消化している。原作を切り取り圧縮し、1話に仕上げた上で、原作の良さを表現仕切ったとの手際は見事と言わざるをえない。